もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

生まれたときは安産だったのに、今はよく立ち止まる。

生まれたときは安産だったのに、今はよく立ち止まる。

 

間も無く、三十四歳を迎え入れる。

冒頭は、最果タヒの詩の一片。

そのつもりで周囲を見渡せば、丁度良い塩梅の言葉に出逢えるようになっている。

 

近頃は読書欲が旺盛。

食欲が旺盛な感覚は、遠ざけても遠ざけてもお隣にいるので、別れよりも依存を恐れるが、読書欲については、突然のお別れが来ないように祈りながら、今の欲のままに求めている。

 

そんなこんなで手元、枕元、鞄の奥底に増殖し続ける本だけれども、本棚がない。「本だけはいくらでも買っても良い」という祖父母から父に、父から私に受け継がれた思想が、その手を止めない。どこまでも溜まってしまえば良いとさえ思っている。


しかし一年にも満たない過去の私は、断捨離という正義を盾に、躊躇いなく様々な本を捨てていたという。すっぽり記憶から抜け落ちた過去の行為だが、インターネットブラウザの閲覧履歴並に記憶力の良い友がそう言っていた。対して私の記憶は、子どものおえかきボードのごとく、言動の度に消去されてしまう。その上、レバーをスライドさせて真っ白になったボードに、閃いたことを自由に筆を走らせる。だから同じ種類の失敗を懲りもせずに続けるのだろう。

全履歴照会可能な友の存在により、「生まれたときは安産だったのに立ち止まる」ことが可能になる三十四歳。幻みたいな満月が漆黒の海を照らしていた瞬間、かくかくしかじかな感情により、かくかくしかじかの判断をしていたが、すっかり忘却しているあなたは、このままだと同様の海に身を投げますよ、と。

 

一年前からたいして成長のない私だ。また別の友が、時の経過を知らせる目的で送ってきた一年前の誕生日の写真の中の私。まったく同じワンピースを今日も着ている。

 

 

何も変わっていないなりに、失敗の類の経験は増えた。あっという間に忘れるから、日付とともにちゃんと記録して、カテゴリー分けして索引作っておこうか。そんなつもりで言葉を遺す。

 

作家のヤマザキマリさんの言葉で、「失敗なんて、このうえない強烈な人間的財産になる」とあった。


一年経っても自分に変化はあまりない。だけど財産は増えてゆく。双六の「3つ進む」みたいなことは、現実世界で起こりにくい。「ふりだしに戻る」も、そうそう無い。スーパーマリオの無敵状態で突っ走り続けた時期もあった。自分の現在地点を周辺に落ちてきた言葉で知り、過去の履歴を友の報告で確認する。

 

完全なる各駅停車で、三十五の駅まで進むと心に置いた今日の履歴。

 

安産で誕生したあの頃とは雲泥の差の成長スピード。驚きの忘却力。驚きの洗浄力。洗濯洗剤か。

 

反芻しながら脱皮する日日は、味わい深く、謳歌の対象だ。

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