もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

ほぼ女。

娘がいるのだが、5歳にして色気がある。

喜怒哀楽の表現方法、甘え方、ファッションへのこだわり…どれをとっても、ほぼ女。おそらく生まれ持っているもので、いつ萌芽するかということなのだろう。同じ時期の自分を思い出す限り、その要素は眠っていた。七五三の着物や化粧を泣くほど嫌がり、怪獣みたいな人形を連れ立っていた記憶がある。なんなら私は、ある時期からつい3年くらい前までノーメイクだった。

 

そんな私の娘が、化粧への憧れを表明した。私の服装、イアリングなどについて、毎度「ママこれ可愛いね」と褒めてくれ、美への探究心を窺わせる。(ピンクでヒラヒラ好きの彼女の好みとは離れているが)。私自身、今でもたいした化粧はしていないけれども、5歳児などとあしらわず、対等に教えてみることにした。(アイシャドウのブラシの扱い方をきちんと説明した方が、化粧品への被害も抑えられると判断したのもある。)

 

これが二度目にして上出来。やはり興味が湧き出ているものは、やってみるのが良い。欲求の消化と達成感による前進。

 

まだ幼い上、趣味は異なるとは言え、「可愛い」という共通の視線によるコミュニケーションは面白く、男子とは違う距離感。(男子については以前書いた:男子の生態

 

歌を作ったり唄ったりしている友人の「MOTHER」という歌の歌詞のワンフレーズ「お揃いの服を買ってみたり」という箇所を、私は、娘と自分を重ねて思い出す。

(余談だが、私はこの歌に度々救われている)

 

とは言え、この仲良さみたいなものが、私たち世代とその母親との関係性に見られる「#母が重い」に繋がらないように、と戒めてもいる。結局は自分は自分でしかなく、所有欲で自分を満たそうとしても、苦しむだけである。湯山玲子の「四十路越え! (角川文庫)」という本を貪って、アラフォー女の生きる術を胃袋に放り込んだ。

 

不自由を持て余す若きを越えれば、やり方次第で、四十路頃から女をもっと楽しめるというのだ。5歳児同様、我々世代も我々世代なりに、これからである。

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