もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

ほふく前進の日常。

接客業中にみる、向こう側。その人は馴染んでいない感じがあった。子育てに。大きなベビーカーを不器用に動かして、赤子をあやしながら食事を進める。口角の上がり方に不自然さはない。少し観察した後、別の業務をこなし、親子のことなど忘れていた頃、気配を感じた。食事を済まして席を立った母親が、立ち止まって周囲を気にしていた。声をかけると「汚してしまって」と困り顔で伝えてきたので、子どもがいるとよくあることだと思い、気にしないように伝え返した。席を確認しにいくと、ベビー用の煎餅が塊で数個落ちていた。想像していた小さな食べかすや、手拭きの山とは異なった。気になれば容易く処理できる程度。少なくとも店員に気づかれるまで立ちすくむより簡単な作業。

(と、測る価値観もある)。

 

母子と再びレジにて対面した際、わずかに騒いだ赤子に対し、女性は困った顔で「ああ、本当にうるさいなあ」と小さく漏らした。言い添えておくけれど、こういうのは日常でよくあることだと思う。女性がなぜか、私にふいに問うた。「お子さんいらっしゃるんですか?」。「はい」と応答すると、「よく育てましたね!」と、本当に感心したような様子で言った。よく、は育てていない。「大変ですよね、頑張ってください。」と、果たして正解だったかどうか、自分で引っ掛かるような言葉で見送った。

 

 

"よくしている、よく生きている、よく暮らしている、よく働いている。"

 

よくなんて、なくてよい。先、何かしらまだ人生が続くようなら、目の前、ほふく前進していけば、道が出来ているんだろう。

 

不器用さを見兼ねて助言をされたとて、ほふく前進タイプは、聞く耳持たない。ガラスの破片で腹に切り傷付けて、「確かにこの道は障害が多かった」と確認したいし、体力なくなってへばってから、「やっぱりあの時肩車してもらったらよかったんだ」と振り返りたい。

 

それが、「よくやってる」という言葉の意だと、わたしの中で、更新する。

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