もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

横尾さんとバスキア。

地元に開館してから随分経つのに、思い立ってようやく初めて訪れた横尾忠則現代美術館。「自我自損展」という言葉に惹かれたのと、横尾忠則自身がキュレーションしたというのにも興味があった。

 

 

思い立つ、というのは見えざる何かに後押しされていること、きっとあって、物事がうまく流れる。「無料開放日」と書いていて、一銭も払わずに、混雑もせずに、優雅な鑑賞日和。「話題」の展覧会、森美術館バスキアを見るには、2100円もして、行列もした。(言っておくが、行って良かった。)2100円と言えば、直島の地中美術館と同じだけで、不思議とこちらは高いと感じず何度か行っている。同じく瀬戸内にある豊島の横尾館は、本来が510円だが、「島民」だったことがあるので、その時に無料で何度か行った。そういう意味においては、今のところ、横尾さんには縁がある。

 

バスキアみたいに若くして亡くなり伝説となっているアーティストもいれば、80歳オーバーで、生きながらにして伝説となりつつある横尾さんみたいなアーティストもいる。横尾さんがグラフィックデザイナーから画家への転身を宣言したのは、45歳の時に観たMoMAでのピカソ展であり、ピカソがそうであったように、横尾さんも過去を自ら否定するようどんどん変化している。分かりやすく、過去の自身のポスターデザインの上からペインティングしている作品もあった。

 

既存社会の規範と常識からはみ出しにくい昨今、一見はみだしてつくりあげた、「新しい世界の自分」という枠に結局おさまってしまう恐怖。ええことやったったで、頑張ったで感の中に浸ってしまって、自分や世界のそれ以上の変化・可能性を見限って、実は閉ざしている。それらに叱咤激励して打破してくれるのがアートという存在。バスキアは短命の中で遺してくれていて、横尾さんは、老いによる自由さの獲得を示してくれた。

 

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