もめのめも書き

日常のエッセイ、仕事の記録など。

〔エッセイ〕もぐらの穴埋めと、明日のこと。

 

棚田の田植え前は忙しい。水路を堰き止め、やっとのことで水を溜めたかと思うと、翌日すっかり抜けていて、どうやらもぐらの仕業だ、なんてことがある。そうなると、田んぼの中に入り、ひたすら足踏みをして穴を埋める作業。穴が埋まっているかなんて、もう一度水を入れてみないと分からない。やっぱりまだ駄目だったという徒労感も見越した、泥沼作業。足をとられる。あの、感覚。人生がうまく回らない時の気持ちは、こんな感じだ。

 

光が射す時が来ることも、知っている。30代になり、年齢を重ねた強さは、沼に脚を突っ込みながらも、光を見ることの出来る強さ。

 

足元が軽やかになると、穴を塞ぎながら妄想していた未来の欠片が、すぽん、すぽんと集まってくる不思議。

 

引き寄せられるように出会った、雨宮まみさんの文章が、ぴたりと来たので、引用す。

 

仕事がまったくないのに「ライター」と名刺に刷るのはとても恥ずかしかった。ライターに「なる」のに必要なのは、仕事なんてなくても「ライター」だと堂々と名刺に刷る、そのずうずうしさだけだと今も私は思っています。名乗った者勝ちなのです。どんなに文章が下手なライターであっても、その最初のずうずうしさを発揮し、仕事を取ってきたのだったらそれで「ライター」と名乗る資格はあるのです。
みなさんは「なんでこんな文章下手なやつが本とか出してんの?」と思ったことはありませんか? たとえ文章が下手でも、その人は「私、こういうのやりたいです」と仕事を取るずうずうしさや押し出しの強さがあったのです。それは一つの才能だと私は思います。「私にはちょっとできません」「私みたいな下手なのが本だなんて……」なんて言っていたら、どんなに上手くても本なんか出せない。そういうものです。私は謙遜という美徳をこの時捨てました。(『女子をこじらせて』、134頁)

 

  

明日、友人に頼んでいた「ライター」の名刺が代引きで届く。

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